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RED GLOBE

卒制シーズン到来

忙しさにかまけて、それとFacebook
あそこの情報交換と近況報告の早さは並ではない。
そうなるとブログは自ずと更新怠慢になる、と自己弁護。

大学は卒展作品、進級展作品制作の季節。
どちらかと言えば現場板付きだった私も、ようやく制作補助から解放されつつある。
立体の場合、言葉だけで指導をすますことは殆どなく
あくまでも補助、あくまでもお手伝いとしながら
師匠と弟子の力量の差で反転し、ついぐいぐいとサクサクと作ってしまう。
できるなら自分で作れ、でも、できないから仕方ない。
絵画系なら筆をとり手を貸すことはないだろう。
彫刻系は筆が刃物であり大型機械だから、
誤って弟子が指をとばすと師匠の首がとびかねない
そういう時代かもしれないし。最近。
自己責任は誰かの裏打ちあってのこと。

ところで、そんな3回生の進級制作展が始まった。
昨日は合評会があった。
まだまだ、まだまだの多い3年目の20代
悩みつつ、悩ませつつ、それでも一応の結果展である。



京都四条室町下がる西側の「室町アートコート」にて、日曜日まで
ウインドウから覗くと見慣れた巨大な造形物が迎えてくれるはず。
# by red-globe | 2012-01-26 15:28 | 業務 | Trackback | Comments(0)

HOT POT Project をまとめておくと





そもそもこのプロジェクトは、1ヶ月程前にひょんなところから始まった。
それは、学内に高校生を招き
「芸術系大学とはどんなところか?という体験講座をするのですが、
なにかスライドレクチャーのようなことでも、」という要望。
なにも珍しいことでもない、よくあることで
高校に出向いてやってきたことでもあるし、安易に済ますこともできる。
ただ、今回はなんだか気乗りしない、でもその理由だけで断ることもできない
作家でありたい自分と、いわゆる教員、給与所得者としての自分
その間でうまく折がつかないところがあった。

それは他でもない3.11以降の自分探し、自己嫌悪、
閉塞感にさいなまれていたことがあると思う。
それは、大学という組織も同じ、国というさらに大きな社会も同じ
今まで正論だとされてきた安全神話は、暗転模索している。
さてどうすればいいのか?
ちゃんとしておきたい、どうしても。
埋められない空虚をこのままにしてはおけない。

高校生といえば、多感な年頃であり大人でも子どもでもない
自己はあるが選挙権がない、ということだ。
彼らを前にして、大人になった自分が何かはぐらかしてはいけないと思った。
今目前にある事実を、同じ時代を生きるものとして語らずにはいられない。
それをしなければおそらく前にも後ろにも進めないのだ。

表現したいことは、目線を変えてみようということ。
作品の横に立つと何だか不確かな感情をもち、なんだろう?と思うだろう。
見渡すと湯立ったやかんが眼にはいり、何か物語がありそうに見える。
建物の4階から見下ろすと、全体が俯瞰できる。
これは一目瞭然のメッセージで、言葉は無意味である。

ひとつの考えを押しつけるわけではない
その点アートは言葉ではない分自在である。
考えることを学ぶ
大学というのは、そういう場所だ。
# by red-globe | 2011-12-20 17:58 | 制作 | Trackback | Comments(2)

HOT POT Project

12月17日、一日だけ公開のプロジェクトに向け進行中
タイトルを、HOT POT Project
もとはもっと長ったらしく、これでもか!的な仮称でスタートしたが
言い得て妙なタイトルを付けて頂いた。

そもそも時間がない、なのに最近どこか意固地になって
自分を追い込むように、戦うように仕向けている気がする。
いつもどこか落ち着かないのだ。
それは焦りかもしれないし、反省かもしれない。
挑戦とも言えるし、反抗ともとれる。

相手は勿論自分自身
何もせずにはいられない性分。



一日8基のノルマがあり、休んでる暇がないぞ。
# by red-globe | 2011-12-10 22:33 | 制作 | Trackback | Comments(0)

届かないところ

ここにファンをつけるということは
ほぼ掃除はしません、という意思表示。


# by red-globe | 2011-12-01 21:41 | 物件 | Trackback | Comments(0)

売りもの



この店の売りはパンではない。おそらく時計。
時計が巻いてあるものは、たまたまパンのように見えるのではない
これはパンを模した食品サンプル。
売り物が時計だとわかるのは、店が時計店だからで
おそらく、と書いたのは
時計店でありながら売りは別なものなのかもしれない
例えばそれはセンスとか、アイデアとか、面白さとか。
# by red-globe | 2011-12-01 00:51 | 物件 | Trackback | Comments(0)

「はざ」って知ってる?



あまり聞き慣れない言葉、はざ。
刈り取った作物を乾燥させるために掛けておくもの。
一昔前までは農村でごく当たり前に見かけた光景だったが
今はほとんど見かけない。
私の育ったあたりでは、稲刈りの終わった田んぼに横一列に
布団を干すように掛けてあったっけ。

はざ掛けにも地域性があって、新潟の山間部である枯木又では
杉の木を支柱に見立てて、その間に縄を張るスタイル。
そして高さがある。

美しい。

木の下に干すには理由がある。
雨をしのぎ、高いところでは風当たりもいいし、動物に食われることを防ぐ。
逆さにした刈り口の部分に、上に掛けたものが重なり傘の役割になり
雨が降ったときにでも好都合だとか。

コンバインで刈るとはざは使わない。
合理化するといやおなしに秋の風景も変わってしまうわけだ。
はざももはや歴史遺産的光景なのか
心境複雑である。
# by red-globe | 2011-11-11 23:04 | 情景 | Trackback | Comments(0)

あの蕎麦はどうなったのか?

枯木又で育てているあの蕎麦畑はどうなったのか?報告しておきたい。
順調に生育した蕎麦は先週刈り頃となってご覧の通り、
茶色く姿を変えいよいよ収穫を迎えた。



所詮、百姓の真似事をさせて頂いてる身、どう刈るか、その後どう干すか、その後は?
情けないほど解っていないので、地元集落の方に丁寧にご指導頂く。
鎌は引くだけでなく、同時に握った茎を押すように、そうすると上手く刈れる。
その後ではざに掛けて干すために藁で束ねる。
作業は難しいかと問われれば、さほどでもないし
やればやるほど上手くなっていく。
実感としては、やっかいな作業というのだろうか
腰をかがめて延々刈り取っていくのは、人手がなければとても辛い仕事である。

穂先のわずかばかりの種子を丹念にかき集めていくのは
気が遠くなるような作業で、収量が上がらなければ苦労は報われない。
買えば粉でキロ幾らとか、簡単に考えてしまえるものを
どこかで、これしきのためにここまでやるのか?なんて雑念が頭の中を過ぎる。

プロの眼からみれば、生育は今ひとつでこの3倍は収穫したいとのこと
肥料、天候に左右されるということは、苦労も報われないことがあって当然の世界。
厳しい。
しかし、ノウハウがあり、人智があり、随所に工夫が感じられる
自然相手に生きた心地のする、生身の仕事だと感じた。

さて、どれ程になるのかな?


そういえば、
# by red-globe | 2011-11-09 19:52 | 心境 | Trackback | Comments(0)

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