RED GLOBE

年の瀬事情

実家に帰ることのない我が家の、年の瀬行事 大掃除。
主立った仕事は窓拭きである。
掃除を夢中になってやっていると、いつになく頭が空っぽになって
なんだか色々考えたり、思い出したり。

息子に掃除を教えろ(指示しろ)と云われて
教えることについて考えた。
普段教える仕事をしているから良く解っているつもりだけど
そもそも私は彫刻を習ったことがあっただろうか?(掃除もだが、、)
技術の継承、考え方の指導、それが教えるということなのか?
昔の職人は「見て盗め」なんて云ってた時もあったが
今でも大半はそう変わりないのではないだろうか?
知らない者には云っても解らない。どんなに上手く説明しても
経験がなければ未知の世界を全くイメージ出来ないだろう。
そうすると、やっぱり百聞は一見にしかず
TVの料理番組と一緒で、こうやるんだとやって示すしかない。

普段教えて下さいなんて云われると、
代わりにやって、手伝ってやって、つい無言でテキパキとこなしていて
「あ、俺のじゃない」と気づき、あわてて「やってみる?」とか云っている。
これを言葉で指導するなら、
「あ、そこ」「そうじゃないだろ」「早く」「なにやってんだ」「こら」
そんで最後に「ばかやろう」だ。
そう、指導ではなく罵声になり、今の時代ならおそらくアウト!である。

でもやりながら、(手伝いながら)こんなんでいいのか?
とか、思う。
要は教える側より習う側が、本気に学ぶ気なると
「黙ってみてろ」 ただ見せるだけで大体伝わって、
勘のいいやつはすぐに上手くやっていて、後で安心したりする。
教える側の技量は教わる側の力量に委ねられている。
習う気のないヤツにはいくら云っても、やって見せても
どこか上の空である。
単位、成績、そして落第なんて問題はここのところにあって
来ないヤツを電話で呼び出して、精々親身になって言える言葉は
「合わないなら辞めた方がいいよ」である。
さて、これもなかなか云ってはならない一言なのかもしれないが。

掃除で思い出したのが、学生時代(準学生時代)=浪人時代の話だが
珈琲店でバイトしていた時に
そこのオーナーは女性で、まあよく気の利く女将さんだった。
ぼーっと休んでいる間はない、次から次に仕事を指示する人だった。
少し客足が途絶えると、「ちょっと、入り口の硝子拭いて」とか
「今のうちに表掃いてきて」とか、こきつかうのである。
それでいて、「ちょっと、」と呼ばれ(内心またか、、)急いで行くと
レジから小銭出して「これで休憩しておいで」なんて云う。
勿論、休憩なんかゆっくり出来ない感じだし、
珈琲店の休憩で喫茶店に行く訳にもいかない。(これでは休憩じゃない。)
店で上手いコーヒを毎日ご馳走になっているから缶コーヒーなんて全く違うし
なんとなく辺りを一周して帰ってくるしか無かった。

コーヒの点て方は教えてくれなかったが、硝子の拭き方、掃除の仕方
コーヒ豆の計り方、レモンの絞り方、色々教わった気がする。
だが、同じような方法で誰かに教えられるか?というと
スタイルが違い、私には彼女の方法では教えられないだろう。
いつも「よくやってくれる」と誉めてくれはしたが
何処か威圧的で、いつも監視されているような感じだったし
あまり気持ちよく積極的に働いた気分になれなかったからである。

(続きは後日)

画像は今日の餅つき(餅つき機編)
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by red-globe | 2008-12-30 21:06 | 心境