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RED GLOBE

絶句

前回お届けした「卒制」の搬出、ほっとする。
派手ではなかったが、それぞれの確固たる個を感じさせる作品が多く
ほっとする。
そして、作品=表現の価値観の変容を感じる出来事もあった。

第一に、作品にお金をかけない。お金をかければいい作品が出来る、、
なんて云わないが。学生はお金が無いものである。
彼らは乏しい金銭のなかでめいっぱいお金を注ぎ込み、制作した
そう思っているはずである。きっと
原石を磨き上げ、手塩に掛けてさらなる価値を産み出す、、
そいう感じではないのである。
これは、そういう時代だということかもしれない。
生活の中に溢れるギミックの世界、
安価で変わりがいつでも手に入るイミテーションでデコレーティブなもの
本物の乏しい日常に生活しているのである。

第二に、それだから作品を大切にしない。一種イベント化しているから
仮設であり、解体することもいとわない。
仕方ないよ、無理だよ、置き場がないよ、、そうだろうか?
それはそれに匹敵する価値を産み出せなかったからである。
昨日創ったものは明日にはもう出来ない。
そういうのがアートであり作品である。
そういうものは簡単に色褪せたりはしない。
そういうものは素材から厳選しなければ成立しない。
どんなに頑張っても、パソコンの中では創れないもの
クリックひとつで簡単に消去できないもの
下手でもそういうものがカッコイイに決まっているのだが、たどり着けないでいる。

ここの下にそういう解体された作品の画像をのせるつもりだったが
想い留まる。痛い。

それは知らない間に本人がダイブして壊していた。
ご丁寧に動画まで撮っていたが、そういうことだったのか?
それも含めて、作品のコンセプトだったとは思えないし
それなら残らないもの=美味しく食べてしまえる料理や野菜や果物や
そういうものを創る方がいい。
経験として残る旅行やライブやイベントで充分である。
いや、むしろそうあるべきで、簡単に壊せるものなんか
どっかの営利主義の企業につくらせればいい、そうに決まってる。

ものに執着しない。
ものは有り余る程あるから一見真理を突いている様に
勘違いするが、ものを介して、もったいないとか大切にするとか
そういう信念を得る。
ものも大事に出来ないやつが人を大事に出来るだろうか?

俺たちはそんなんじゃないよ。
そんなこと否定して、頑固に本物を目指すひねくれ者になろうぜ。
ものをつくるな、精神をつくれ。
その精神はゴミ箱の中に放り込んじゃ駄目だよ。
by red-globe | 2009-02-03 01:51 | 作品