RED GLOBE

彫刻であること

先日の続編になるのだが、
苺狩りにお邪魔したY家の親父さん、趣味は彫刻だった。

これを記事にすべきかどうか?実はちょっと迷った。
プライベートなことだし、作品だから
こんなところで話すのは、本望ではないかもしれない。

僕は美術系大学で彫刻を学び、さしたる理由もないまま
この道を選んでしまったのかもしれない。
勿論そんなことはこれまであまり考えなかった。
好きだということでそれが天職であるかのような
それしかないというような、狭い見解で進んだのかもしれない。
何が言いたいかというと、
何処まで必然性があったか?ということである。

本来アートというのは生活に密着していて
日々の暮らしに寄り添うように生まれてきたものである。
それは欲のないところでひたむきに取り組むことで
初めて神髄に近づけるようなものだ。
だから、意味があり、リアリティがあり、思想があり
哲学になる。
にわかに思いついたようにできることではない。
それは上手い下手の話でもなく
誰かに認められたからアートだというものでもない。

どう取り組んできたか
そこが大切である。

話を戻そう。
その親父さんの趣味、彫刻は数でも質でも
ただ者ではなかった。
そう、趣味で、、とおっしゃっていたが
それはアートだった。
彫刻家ではないかもしれないが、趣味の範疇を超えていた。

やられた、野菜もいいがこっちでもやられた気がして焦った。
なぜこれほどまでの力があるのか?

f0107315_2225242.jpg


実際にはこの4倍位の作品群で細工は細かい。
木はケヤキが多く、ケヤキといえば堅木で手間がかかる。
キャリアは「平成になってから始めた」そうだから20年
私とあまり変わらない。
趣味は軽く本職を超える、それはよくある話

特にこの愛犬を彫ったというこの作品
純粋で愛情に満ちていてよかった。凛々しい。
なんだか生(精?)があるのである。参りました。
締めて生きなきゃいけない。

f0107315_22111615.jpg

[PR]
by red-globe | 2008-06-04 22:19 | 心境